モリちゃんの酒中日記 4月その4

4月某日
「日本宗教史」(岩波新書 末木文美士 2006年4月)を図書館で借りて読む。宗教のことは真面目に考えたことがないので戸惑うことも多かったが、興味深く読めた。日本の場合、アニミズムを淵源とする神道に渡来した仏教が加わり、それが互いに混淆するという歴史がある。江戸時代、キリシタン禁教の徹底に仏教寺院の檀家制度が幕府に利用された。幕末から明治掛けて続々と登場した天理教や大本教などの新宗教の存在もユニークである。現代の日本において信仰を持っている人の割合は少ないと思われるが、強い信仰を持たないこそ、天皇制や葬式仏教の問題など日本人の精神に宗教の与える影響は強いものがあるだろう。

4月某日
土曜日だけど「40歳からの介護研修」キックオフミーティングに参加。会場は中央区新川のSCNの高本代表のマンションの集会室。「40歳からの介護研修」を企画・立案したアイネットの中川裕晴代表取締役、山本博美NPO法人つむぎ理事長その他も奈良県の天理市から参加、中川さんから概要の説明を受けた。江利川毅元厚生労働次官(確か介護保険法が成立したときの担当審議官だった)、江利川さんと厚生省入省同期の川邉さんも参加してくれた。キックオフミーティング後、近くのキリンシティで懇親会。懇親会中にネオユニットの土方さんの携帯に映像担当の横溝君から電話。土方さん、横溝君、HCMの大橋さんと私の4人で神田の葡萄舎で吞む。

4月某日
日曜日、カイポケフェスタ2017東京に参加。講演会では2018年の診療報酬と介護報酬のダブル改定へ向けた介護事業所の具体的な取組を聞けた。総じて登壇した経営者は介護保険の将来について楽観的な見通しは持っていないといってよい。介護報酬は切り下げられ、支給範囲は狭められるだろうという見通しだ。その中で管理部門のICT化やAIやロボットの導入は不可避という考えだ。私もまったく同感。会場の品川から東京‐上野ラインで我孫子へ直帰、駅前の「七輪」へ寄る。

4月某日
南阿佐ヶ谷の新しい「ケアセンターやわらぎ」の事務所で「虐待防止パンフレット」の打合せ。石川代表、原画を描く生川君、フリーの編集者の浜尾さんと私の4人。5時に打合せが終わって石川さんが「角打ちに行こう」というのでついていくことにする。角打ちとは酒屋さんでお酒を吞ませることを言う。昔は多くの酒屋さんでやっていたと思うが、今は希少価値。コップ酒を買って燗をする場合は自分でレンジでチンをする。ここの角打ちはお寿司屋さんが寿司を握ってくれるところがすごい。その寿司がまた絶品だった。6時半に角打ちを出て私は西荻窪に向かう。西荻窪には兄夫婦が住んでいて改札に迎えに来てくれていた。駅近くの居酒屋で近況を話す。私が最近、辻原登が面白いと言ったら兄も「俺もそうなんだ」。ちょっとびっくり。小説の好みも兄弟で似るのかな。

4月某日
その辻原登の「円朝芝居噺 夫婦幽霊」(講談社文庫 2010年3月)を読む。冒頭は鏑木清方の傑作「三遊亭円朝像」の話から始まり、円朝の噺の多くが速記本として販売され人気を呼んだこと、日本における速記の成り立ちと普及へと話は続く。そして作者である私が速記に興味を持ったいきさつが紹介される。作者は反故同然に保管されていた円朝の噺の速記録を入手し、その速記録に基づく「夫婦幽霊」の噺が延々と続く。「延々」と書いてしまったが、この噺自体が推理仕立てにもなっていてはなはだ面白い。最後に実はこの速記録は円朝の噺の速記ではなく…と真実(あくまでも小説上の真実)が明かされるというストーリー。辻原登は巧みだ。

4月某日
HCM社で大橋社長とネオユニットの土方さんと「胃ろう・吸引等シミュレータ」の販売会議。SNSの活用や記者発表の必要性を議論。終わってから新橋の北海道料理の居酒屋「うおや一丁」で吞む。土方さんが開発したシミュレータの販売をひょんなことから手伝うようになったのは4~5年前、当社の大前さんがまだ元気だったころだ。大前さんが亡くなって販売をHCMに移して2~3年になる。当初は殆ど売れなかったのだが昨年暮れにホームページをリニューアルしたころから徐々に売れ始めてきている。介護職の医療行為の一部解禁も追い風になっていると思う。開発者の土方さんも大橋さん、私も医療については門外漢、それでもなんとかやってきた。

4月某日
図書館で借りた「1941 決意なき開戦 現代日本の起源」(堀田江理 人文書院 2016年6月)を読む。A5判400ページの大著だが開戦に至る日本の指導者層、それも政府、陸海の軍部、枢密院、宮中に至るまで、の動きを克明にたどるだけでなく永井荷風の日記をはじめ、当時の日記や書簡類にも丹念に目を通し、指導者層だけでなく市民や知識人がすでに始まっていた日中戦争や次第に窮屈になりつつある日常生活をどう感じていたかを記す。本書を読むまでの私の太平洋戦争に対する認識は、軍部とくに陸軍の独走に近衛文麿はじめ指導者層が引きずられた結果、開戦に至ったという単純なものだった。しかし本書を読むと何よりも戦前の日本は、ナチスドイツのような独裁国家とは言えず、大政翼賛会によって議会政治は弱体化していたもの、戦争に向けての意思決定は首相、主要大臣、陸海軍の参謀総長と軍令部総長、企画院総裁、枢密院議長が出席し天皇も臨席する御前会議を経て決められていたということがそれとわかる。国家の指導者たる出席メンバーの多くは日米開戦には否定的であった。にもかかわらず日本は開戦の道を選び、広島、長崎への原爆投下をはじめ、膨大な人的、物的な被害を被る。
このような悲劇は我々に多くの教訓をもたらしたはずである。現在、その教訓は正しく生かされているのだろうか?著者は「あとがき」で「開戦前夜における政策決定にまつわる諸問題は、我々にとって他人事ではなく、敗戦を経ても克服することができなかった負の遺産だとも言えるだろう。そのことはごく最近では、福島原発事故や新国立劇場建設問題に至る道のり、およびその事後処理における一連の経緯が明確にしている。より多くの人々に影響を及ぼす決断を下す立場の指導者層で、当事者意識や責任意識が欠如する様相は、あまりにも75年以上前のそれと酷似している」と警鐘を鳴らしている。ところで著者の堀田江理という人の著作を読むのは初めてだが歴史学者としてまた著述家として並々ならぬ力量を感じさせる。1994年、プリンストン大学歴史学部卒業というからまだ40歳台と思われる。もともと本書は英文で発表されたものを著者自ら日本語に訳したものという。すごいですね。