モリちゃんの酒中日記 2月その3

2月某日
3連休の最終日の日曜日。何気なく朝刊の「朝日歌壇・俳壇」のページを開く。永田和弘選の二首が目につく。「良心の呵責ではない 死を前に自分に戻りたかった「桐島」」(篠原俊則)「半世紀近くを別の名で生きて気づかれなかったことの寂しさ」(高橋好美)。東アジア反日武装戦線のメンバーで先月、末期がんで亡くなった桐島聡のことを歌った歌である。小林貴子選の俳句にも「本名で生きたる最期冴え返る」(縣展子)が。桐島聡の死をある感慨を持って受け止めた人がいたんだ。そう思うと少し心が休まる。

2月某日
「かさなりあう人へ」(白石一文 2023年10月 祥伝社)を読む。夫に先立たれて夫の母と暮らす志乃。ある日スーパーで食品を万引きし係員に声を掛けられる。とっさに志乃は現場にいた勇に「あなた」と夫のごとく呼びかける。40代の販売員の志乃は売り場で勇と声を交わしたことがあったのだ。離婚歴のある勇と志乃は紆余曲折を経ながらも心を寄せ合っていく。「紆余曲折」と一言で書いてしまったが、恐らくこの紆余曲折が小説の巧拙を決定する。そしてこの紆余曲折の構成は作家によって傾向があるように感じられる。白石の場合は夫婦、恋人、親子などの関係性と思う。小説は登場人物の関係性を描くものと言ってしまえばそれまでであるけれど。離婚後の勇には人生の目標も目的もない。だが一つだけ心がけようと誓ったことがある。「それは、賤しいことはしないというものだった」「自身が『これは人間として賤しい行為だ』と見做すような行為は絶対にしない-俺はそう思っている」。これは75歳になった私にも共感できる言葉と態度である。

2月某日
一般財団法人の医療経済研究・社会保険福祉協会の「保健福祉活動支援事業」運営委員会に出席するため東京へ。委員会の開催は2時からなので虎ノ門でランチ。ジンギスカン料理の看板の店に入る。ジンギスカンを食べるのは何年かぶり。美味しかった。まだ時間が少しあったので虎ノ門フォーラムの中村秀一理事長を訪問。20分ほど雑談。東急虎ノ門ビル3階の医療経済研究・社会保険福祉協会へ。委員は5名いて私以外は介護や医療の専門家だ。私は医療や介護の受け手の立場から発言するようにしている。来年度の介護報酬改定で「訪問介護のマイナス改定」が話題となった。介護現場の人手不足は深刻なようだ。私は後期高齢者として「私が要介護状態になったとき介護難民とならないように人手不足を緩和してもらいたい。そのためにはロボットやIT、外国人の活用が大事になってくる」と発言させてもらった。虎ノ門界隈をブラブラして霞が関から我孫子へ。途中で赤ちゃんを連れた若い女性が二人(赤ちゃんを入れると4人)乗車する。赤ちゃんが手を振ってくれたので私も手を振る。近くにいた女性と若い男性も笑顔で手を振る。若いお母さんは新松戸で「ありがとうございました」といいつつ笑顔で降りて行った。赤ちゃん効果。

2月某日
「あの公園のベンチには、なぜ仕切りがあるのか?-知らぬ間に忍び寄る排除と差別の構造」(森達也編著 2023年11月)を読む。「あの公園のベンチには、なぜ仕切りがあるのか?」って聞かれても…。私が住むのは我孫子市の手賀沼公園の近く。手賀沼公園と公園内の遊歩道には多くのベンチが設置されているけれど、仕切りなんかあったっけ?…。という感覚である。しかし本書を読んで「公園のベンチの仕切り」には深刻な意味があったのだ。「ベンチの仕切り」は公園管理当局にとっての好ましからざる者、具体的にはホームレス等が、ベンチで横になれないように設けたものだ。ここでサブタイトルの「知らぬ間に忍び寄る排除と差別の構造」の意味が明らかになる。私は北海道で少年時代を過ごしたのだが、私の周囲には少数のアイヌの子どもがいた。ひとりは2歳上の兄の友人で私とも仲良しであった。もう一人は小学校の同級生の女の子。彼女を同級生と虐めたことがあるが、反撃された。民族差別による虐めなのか今となってははっきりしないけれど、民族差別によらない虐めもダメなのは今や常識である。ごめんなさい。
本書に戻ると森達也と10人の筆者が小文を寄せている。それがエッセー風あり、論文風あり、ドキュメント風ありと雑多なのだが、それはそれで私は「いいんじゃないかな」と思う。なぜなら現代における「排除と差別の構造」はそれだけ多様であり重層的であると思うからである。在日朝鮮人に対する民族差別もあるし、外国人労働者に対する差別もある。貧困に対する差別もあるし障がいに対する差別もある。差別者が差別を自覚している場合もあるし無自覚な差別もある。本書の目次から抜粋すると雨宮処凛が「弱者」を対象に「困窮に至るまでの、そして困窮してからの排除」、葛西リサが「シングルマザー」の「住みたい部屋で暮らせない」、渋井哲也の「学校という排除空間」、武田砂鉄の「『五輪やるから出ていけ』の現在地」、朴順梨の「変質するヘイト。そして微かな希望」、森達也の「排除アートは増殖し続けている」、安田浩一の「外国人」の「排除と偏見を逆手にとる」などである。安田浩一のは、磐田市(静岡県)を拠点とするブラジル人4人、ペルー人と日本人が一人ずつの多国籍のラップグループのドキュメント。これは大変に読み応えがありました。

2月某日
今日は4年に1回ある2月29日、かといって何があるわけでもなく。午後1時から神田の社保研ティラーレで打ち合わせ。1時間ほど「地方から考える社会保障フォーラム」について話し合う。私はこのフォーラムの最初からテーマや講師選びを手伝ってきた。実は私はイベントの企画が好き。単行本や雑誌の編集や企画も嫌いではなかったが、書籍って残るからね、失敗しても。イベントって失敗しても残らないからね。だから「社会保障フォーラム」も楽しかったけどね。しかし私も齢75歳を過ぎた。後進に道を譲るべきときが来たように思う。神田から上野、上野から常磐線で我孫子へ。我孫子で駅前の「しちりん」に寄る。