モリちゃんの酒中日記 3月その2

3月某日
「深く、しっかり息をして」(川上未映子 マガジンハウス 2023年7月)を読む。川上未映子は好きな作家で「ヘブン」以来、小説を愛読している。これは雑誌「Hanako」の連載エッセーをまとめたものだ。女性雑誌に連載されたものだからなのか、私には川上未映子の女性性がより強調されているように感じられた。とくに連載中に彼女が妊娠、出産、育児を母親として経験したことも大きいかも知れない。女子大に講演にいったときの質問。「夢もあって、それを追いかけたい気持ちもあるけれど、母子家庭で育ったし、母親のことや将来のことを思うと、きちんと就職して生きていったほうがいいのじゃないだろうか。ミエコさんにも、そんな時期があったはず。どうやって、いまにたどりついたのですか」。川上の答えは「人のために生きなければならないときは嫌でもやって来るものだから、いまのうちは、できるだけ自分のことだけを考えるように」というもの。質問は母子家庭の女子大生ということから女性性が高いと言えるが、川上の答えはあくまでも普遍的。そういえば3月8日は国際女性デーだった。ウクライナやパレスチナでの戦争に反対し、女性への性暴力を強く非難します。

3月某日
「創価学会」(島田裕巳 新潮新書 2024年1月)を読む。本書は04年に刊行された同じタイトルの新潮新書に昨年末の池田大作名誉会長の死を受けて、「いったい創価学会はどうなるのか、それは日本社会にどういった影響を与えるのか考えた」2章分を増補したもの。結局、カリスマ的な存在だった名誉会長の後継者たるカリスマは存在せず、会長や理事長、副理事長、総務会メンバーによる集団指導体制になるだろうということだった。本書によると創価学会は戦後の高度成長期に農村から都市に出てきた下層の労働者階級中心に信者を延ばしてきたという。しかし、私の知っている学会員は押しなべて中産階級である。私の父親は地方の工業大学の教授だったが、同僚が「近代科学に疑問を感じて入信した」という話を聞いたことがある。創価学会の組織はSGIとして世界に広がっているが、「SGIの場合、日本の創価学会とは異なり、むしろ庶民ではなく中産階級をターゲットとしているからである。つまり、現世利益を約束する宗教団体としてよりも、仏教を中心とした東洋の宗教思想に触れることのできる組織として受け取られている」そうだ。創価学会がSGIのように方向を変える可能性もあるが、そうすると古くからの信者が離反していく可能性もある。党勢が伸び悩む公明党とあわせて興味深い。

3月某日
元厚生労働事務次官の江利川さんとの呑み会。17時30分から御徒町駅前の吉池食堂で。参加者は江利川さんのほか、江利川さんの次の年局資金課長の川邉さん、その次の資金課長、吉武さん、その頃の課長補佐だった岩野さん。そして社会保険出版社の高本社長、セルフケアネットワークの高本代表、社保研ティラーレの佐藤社長、元社会保険旬報記者の手塚さんというところ。年友企画の岩佐さんは発熱で欠席。吉武さんからシェリー酒とワインの差し入れをいただく。この会を吉池食堂でやるのは初めてだが概ね好評につき、次回も9月頃吉池食堂を予定。

3月某日
監事をやっている一般社団法人の理事会が東京駅八重洲口近くで1時30分から開催される。能登地震支援のための石川県物産展が八重洲口にあるということなので寄ってみる。大繁盛でレジに置かれた募金箱も千円札で溢れていた。「肉みそ」を3点購入。理事会は会長の挨拶から始まるが、この挨拶が毎回面白い。会長は弁護士なのだが、映画が趣味らしく今回はアカデミー賞を受賞した「シン・ゴジラ-1.0」を話題に。「よくできた映画だと思いますよ。高齢者割引で鑑賞できますから、ぜひ」と鑑賞を勧めてくれた。議事は特に問題なく進行。私は八重洲口から丸の内口へ移動、丸ノ内線で東京から大手町、大手町から半蔵門線で神保町へ。5時に社会保険出版社で年友企画の石津さんや出版社の高本社長と待ち合わせのため。時間があるので喫茶店「atacu café」へ。新しく開店した店らしく客は私ひとり。店名の「atacu」は店主が「私の名前がアタクなので」と説明された。恐らく安宅であろうと想像する。まだ時間があるので社会保険出版社近くの喫茶店へ。夏ミカンのジュースをいただく。村上春樹の本を揃えているようだ。店主は「私が村上春樹を好きなので」と。店名も村上春樹の本のタイトル「On A SLOW BOAT TO…」から付けたそうだ。
5時近くなったので社会保険出版社の入っている1階ロビーに着くと石津さんがすでに来ていた。出版社に行くと取締役の近藤さんが「社長は熱が出て休んでいます」と。スマホを見ると高本社長からその旨のメールが来ていた。折角のなので石津さんと二人で呑みに行くことにする。出版社のある猿楽町から坂を上って出版健保のビルを横目で見ながら御茶ノ水駅前に出る。「かぶら屋」という呑み屋へ入る。私のような年寄りからサラリーマン、学生風といろいろ。30分ほど一人で呑んですっと帰る人も多いようだ。女性の一人飲みもいる。私の若い頃はあまり見なかった光景である。焼き鳥と静岡おでん、キャベツ、キュウリをいただく。お酒は生ビールとハイボール。かなり飲んで食べて、石津さんにすっかりご馳走になる。石津さんはお茶の水から神田で京浜東北線に乗り換え、私は新御茶ノ水から一本で我孫子へ。

モリちゃんの酒中日記 3月その1

3月某日
「パッキパキ北京」(綿矢リサ 集英社 2023年12月)を読む。綿矢リサの小説を読むのは初めてかもしれない。84年京都府生まれ。01年高校生のときに文藝賞受賞。04年早稲田大学在学中に「蹴りたい背中」で芥川賞を受賞。若くして作家デビューを果たした著者も今年40歳になるんだ。さて本作「パッキパッキ北京」であるが私は面白く読んだ。といっても今年75歳になる私としては理解できない表現もいくつかあった。ストーリーは20歳以上年の離れたバツイチの男性と結婚した私が、夫の赴任先である北京を訪れ、街をウロツキ、ショッピングや食事を楽しむというもの。タイトルは主人公が北京の凍った川を見ているときに頭のなかに流れてきたラップにちなむ。
 適応障害イミ分からん
 世間が私に適応すべき
(のんしゃらりー のんしゃらりー)
 キミは知らんと思うがね
 冬の北京はバッキパキ
(ヘイのんしゃらりー のんしゃらりー)   というラップである。
北京の清潔な空気を漂わす天壇公園と少し外れた地域の陰気な気配。主人公は東京と比較して次のような感想を残す。「シビアなほど陰と陽をはっきりさせる北京と、ごちゃついてるけどまんべんなく全体的に良くしていこうとしてる東京では、そもそも目指している都市の未来の姿が違う気がする」。中国における権威主義的な再開発とそれに取り残された地域のことを言っているのか。私には十分に批評的に感じられた。

3月某日
バス停のアビスタ前から坂東バスで八坂神社前まで5分ほど。八坂神社前から徒歩3分ほどで中山クリニックへ。高血圧の月1回の診察。いつもは閑散としている待合室が今日は高齢者夫婦が3組ほど。私が受診したのは12時を過ぎていた。八坂神社前からバスで若松まで。横浜ラーメン寿美屋で小ラーメン800円を食べる。横断歩道を渡ったウエルシアで中山クリニックの処方箋を渡し、明日の午前中に取りにくると伝える。明日11時30分からウエルシアの近所のマッサージ店で予約をしているため。
本日2度目のバス。今回は我孫子駅まで。我孫子から上野まで常磐線で。上野駅から歩いて御徒町へ。御徒町駅前の吉池本店ビルへ。今日は9階の吉池食堂で4月に年友企画を辞める石津さんと以前に年友企画社員だった寺山(旧姓村井)さんと呑み会。2時間たっぷりお酒とおしゃべりを楽しんだ。

3月某日
小雨。ウエルシアで降圧剤などの薬を受け取りマッサージへ。マッサージの後、ウエルシアでウイスキーを購入。朝飯が遅かったので15時から開く我孫子駅前の居酒屋「しちりん」でランチ兼昼飲み。焼酎のホッピー割とウイスキーのソーダ―割をいただく。つまみはホタルイカの刺身と国産にんにく焼。国産にんにく焼は小鍋でニンニク1個を小片に分けて焼き、その小鍋で卵を焼く。自分でやることも出来るのだが、私はもっぱら女性店員の「みゆき」さんにやってもらう。

3月某日
「帰れぬ人びと」(鷺沢萠 講談社文芸文庫 2018年6月)を読む。鷺沢の小説は20年ほど前によく読んだ記憶がある。透明感のある作風と文体が好きだったのかも。鷺沢は68年生まれ、上智大学在学中に「川べりの道」で文学界新人賞受賞。04年4月11日に自死。
「帰れぬ人びと」には表題作のほか「川べりの道」「かもめ家ものがたり」「朽ちる町」が収録されている。「川べりの道」は東急電鉄の鵜木駅界隈に女性と暮らす父から生活費を貰いに訪れる高校生の日常を描く。「かもめ家ものがたり」は京浜急行蒲田駅前近くの「かもめ家」という居酒屋を任された若き板前コウと親方、常連客の物語。「朽ちる町」は「ヒキフネガワドオリ」にある小さな塾の講師、英明と塾に通う子供たちを描く。そして「帰れぬ人びと」は翻訳の下請け会社に勤める村井と資産家に嫁いだ姉、そして村井の会社の同僚や社長を描く。いずれもフィクションだが、鷺沢の実生活をモデルとしたような家族関係などが垣間見えて私には興味深かった。

3月某日
今日は元厚労省の堤さん、元滋慶学園の大谷さん、滋慶学園の東京福祉専門学校副学校長の白井さんと鎌倉橋の「跳人」で会合。18時からの予定だが堤さんから少し早めに17時30分ころ店に行くとのメールが入る。読みかけの「深く、しっかり息をして-川上未映子エッセイ集」を持って常磐線に乗る。上野から歩いて御徒町へ。14時過ぎに御徒町駅北口の町中華「大興」でランチ、生姜焼き定食をいただく。大興は大谷さんに連れて行ってもらった店だが一人で行くのは初めて。生姜焼き定食も初めてだったが美味しかった。御徒町から神田へ。17時30分までは時間があるので千代田区立神田まちかど図書館で「深く、しっかり息をして」の続きを読む。全部読んでしまったが、まだ時間があるので「跳人」のある鎌倉橋ビル1階の喫茶店でコーヒーを飲む。17時を過ぎたので地下1階の「跳人」へ。スマホを見ると「今日は行けません」と堤さんからメールが入っていた。18時過ぎに大谷さんが来る。二人でビールを呑み始める。白井さんは道に迷ったそうで30分ほど遅れて到着。東京福祉専門学校は年友企画のときに入学案内を作らせてもらった。その後も白井さんには「胃ろう・吸引シミュレーター」の開発でお世話になっている。大谷さん、白井さんとは共通の友人も多く、話はたいへん盛り上がった。白井さんにはお土産に高級クッキーをいただいた上にすっかりご馳走になってしまった。白井さんは大手町から東西線で西葛西へ。私と大谷さんは神田から山手線で上野へ。大谷さんは上野から川口、私は我孫子へ。

モリちゃんの酒中日記 2月その3

2月某日
3連休の最終日の日曜日。何気なく朝刊の「朝日歌壇・俳壇」のページを開く。永田和弘選の二首が目につく。「良心の呵責ではない 死を前に自分に戻りたかった「桐島」」(篠原俊則)「半世紀近くを別の名で生きて気づかれなかったことの寂しさ」(高橋好美)。東アジア反日武装戦線のメンバーで先月、末期がんで亡くなった桐島聡のことを歌った歌である。小林貴子選の俳句にも「本名で生きたる最期冴え返る」(縣展子)が。桐島聡の死をある感慨を持って受け止めた人がいたんだ。そう思うと少し心が休まる。

2月某日
「かさなりあう人へ」(白石一文 2023年10月 祥伝社)を読む。夫に先立たれて夫の母と暮らす志乃。ある日スーパーで食品を万引きし係員に声を掛けられる。とっさに志乃は現場にいた勇に「あなた」と夫のごとく呼びかける。40代の販売員の志乃は売り場で勇と声を交わしたことがあったのだ。離婚歴のある勇と志乃は紆余曲折を経ながらも心を寄せ合っていく。「紆余曲折」と一言で書いてしまったが、恐らくこの紆余曲折が小説の巧拙を決定する。そしてこの紆余曲折の構成は作家によって傾向があるように感じられる。白石の場合は夫婦、恋人、親子などの関係性と思う。小説は登場人物の関係性を描くものと言ってしまえばそれまでであるけれど。離婚後の勇には人生の目標も目的もない。だが一つだけ心がけようと誓ったことがある。「それは、賤しいことはしないというものだった」「自身が『これは人間として賤しい行為だ』と見做すような行為は絶対にしない-俺はそう思っている」。これは75歳になった私にも共感できる言葉と態度である。

2月某日
一般財団法人の医療経済研究・社会保険福祉協会の「保健福祉活動支援事業」運営委員会に出席するため東京へ。委員会の開催は2時からなので虎ノ門でランチ。ジンギスカン料理の看板の店に入る。ジンギスカンを食べるのは何年かぶり。美味しかった。まだ時間が少しあったので虎ノ門フォーラムの中村秀一理事長を訪問。20分ほど雑談。東急虎ノ門ビル3階の医療経済研究・社会保険福祉協会へ。委員は5名いて私以外は介護や医療の専門家だ。私は医療や介護の受け手の立場から発言するようにしている。来年度の介護報酬改定で「訪問介護のマイナス改定」が話題となった。介護現場の人手不足は深刻なようだ。私は後期高齢者として「私が要介護状態になったとき介護難民とならないように人手不足を緩和してもらいたい。そのためにはロボットやIT、外国人の活用が大事になってくる」と発言させてもらった。虎ノ門界隈をブラブラして霞が関から我孫子へ。途中で赤ちゃんを連れた若い女性が二人(赤ちゃんを入れると4人)乗車する。赤ちゃんが手を振ってくれたので私も手を振る。近くにいた女性と若い男性も笑顔で手を振る。若いお母さんは新松戸で「ありがとうございました」といいつつ笑顔で降りて行った。赤ちゃん効果。

2月某日
「あの公園のベンチには、なぜ仕切りがあるのか?-知らぬ間に忍び寄る排除と差別の構造」(森達也編著 2023年11月)を読む。「あの公園のベンチには、なぜ仕切りがあるのか?」って聞かれても…。私が住むのは我孫子市の手賀沼公園の近く。手賀沼公園と公園内の遊歩道には多くのベンチが設置されているけれど、仕切りなんかあったっけ?…。という感覚である。しかし本書を読んで「公園のベンチの仕切り」には深刻な意味があったのだ。「ベンチの仕切り」は公園管理当局にとっての好ましからざる者、具体的にはホームレス等が、ベンチで横になれないように設けたものだ。ここでサブタイトルの「知らぬ間に忍び寄る排除と差別の構造」の意味が明らかになる。私は北海道で少年時代を過ごしたのだが、私の周囲には少数のアイヌの子どもがいた。ひとりは2歳上の兄の友人で私とも仲良しであった。もう一人は小学校の同級生の女の子。彼女を同級生と虐めたことがあるが、反撃された。民族差別による虐めなのか今となってははっきりしないけれど、民族差別によらない虐めもダメなのは今や常識である。ごめんなさい。
本書に戻ると森達也と10人の筆者が小文を寄せている。それがエッセー風あり、論文風あり、ドキュメント風ありと雑多なのだが、それはそれで私は「いいんじゃないかな」と思う。なぜなら現代における「排除と差別の構造」はそれだけ多様であり重層的であると思うからである。在日朝鮮人に対する民族差別もあるし、外国人労働者に対する差別もある。貧困に対する差別もあるし障がいに対する差別もある。差別者が差別を自覚している場合もあるし無自覚な差別もある。本書の目次から抜粋すると雨宮処凛が「弱者」を対象に「困窮に至るまでの、そして困窮してからの排除」、葛西リサが「シングルマザー」の「住みたい部屋で暮らせない」、渋井哲也の「学校という排除空間」、武田砂鉄の「『五輪やるから出ていけ』の現在地」、朴順梨の「変質するヘイト。そして微かな希望」、森達也の「排除アートは増殖し続けている」、安田浩一の「外国人」の「排除と偏見を逆手にとる」などである。安田浩一のは、磐田市(静岡県)を拠点とするブラジル人4人、ペルー人と日本人が一人ずつの多国籍のラップグループのドキュメント。これは大変に読み応えがありました。

2月某日
今日は4年に1回ある2月29日、かといって何があるわけでもなく。午後1時から神田の社保研ティラーレで打ち合わせ。1時間ほど「地方から考える社会保障フォーラム」について話し合う。私はこのフォーラムの最初からテーマや講師選びを手伝ってきた。実は私はイベントの企画が好き。単行本や雑誌の編集や企画も嫌いではなかったが、書籍って残るからね、失敗しても。イベントって失敗しても残らないからね。だから「社会保障フォーラム」も楽しかったけどね。しかし私も齢75歳を過ぎた。後進に道を譲るべきときが来たように思う。神田から上野、上野から常磐線で我孫子へ。我孫子で駅前の「しちりん」に寄る。