モリちゃんの酒中日記 9月その2

9月某日
「幕末明治 不平士族物語」(野口武彦 草思社 2013年6月)を読む。我孫子市民図書館では廃棄処分する本を「リサイクル本」としてホールに展示、早いもの順で持って行って良いことになっている。本書もそういった一冊。「幕末維新の裏面史には、報われなかった正心誠意・無駄に費やされた人命・ほとんど自己目的の流血のたぐいがゴロゴロ転がっている。その界域にまで視野を広げなければ歴史は瘦せ細るばかりであろう」と著者はプロローグで述べている。「ほとんど自己目的の流血のたぐい」は現代でも新左翼の内ゲバや爆弾テロなどにも見られる。まぁ私が若い頃の学生運動の活動家(今や死語!)などは明治初期の不平士族を彷彿とさせる。本書では不平士族によるいくつかの事件と志士が語られる。私の知らない事件や志士も多いのだが、熊本の神風連の乱や西郷隆盛による西南戦争ならば知っている。神風連の志士は「自分の存在理由と合致しない世に便々と生き延びるよりも、死ぬことによって神と合一することにこそ一回的な生の充実が見出」すという強い信念があった。「死ぬことによって生の充実を見出す」のはテロリストの一般的な心情ではなかろうか。

9月某日
「それはどこでも起こり得る-壊れゆく世界への抵抗」(ブレイディみかこ 文藝春秋 2026年7月)を読む。ネパールでの氷河崩落による大洪水や日本でも線状降水帯による水害が相次いでいる。地球温暖化が原因の一つであることは間違いのないところのようだ。地球温暖化は産業革命以降の工業化による二酸化炭素の排出量の増加に起因する。資本主義の勃興と隆盛が地球温暖化をもたらしたのだ。私にもわかりやすい言葉で地球温暖化や資本主義に発言しているのが斎藤幸平の一連の著作だ。斎藤幸平とは違った位相で資本主義批判を展開しているのがブレイディみかこだ。本書でも災害地に立ち上がる相互扶助について「底本 災害ユートピア なぜそのとき特別な共同体が立ち上がるのか」(レベッカ・ソルニット)を引いて論じている。「「新しい可能性を切り開く、災害の持つ力」などと言うと不謹慎だと怒る人もいるかもしれないが、実際に災害にはそのようなユートピア性があるのだとソルニットは主張した。ふだんは近くに住んでいても挨拶すら交わさなかった人々が、物資を分け合い、安否を気遣い合って、助け合いのコミュニティを作る」(第1章)。著者はAIやプラットフォームに依存するテクノ資本主義も批判する。「AIは人間のように感情に立脚した義憤や正義感を持っていないので、学習させられたデータを鵜吞みにし、与えられた条件の中で最適と思われる推論を行う。「いや、それは最適解であっても道徳的にひどいのでは」と人間のように躊躇することなく、徹底的に差別や排除を行うことができる」(第2章)。私はAIやロボットの登場によって生産性が飛躍的に向上し、マルクスの言う共産主義社会の実現も可能ではないかと思ったこともあったが、浅はかでした。

9月某日
「人生はだましだまし」(田辺聖子 角川文庫 2015年3月)を読む。角川文庫の奥付の発行年月日は西暦表記である。しかし巻末に「本書は、2003年3月に小社より刊行されました」と記載されているところを見ると角川書店が元号主義(?)に陥っているわけではなさそうである。本書は「人間も長い人生を生き擦れてくると」「(ナアナア、ほどほどでもエエやないか)と思うようになる」(金属疲労)という洞察のもと、終業時、売上げの計算が合わぬときなど、「一同、暗澹たる思いにうちひしがれている時、ベテラン先輩の一言。〈あとは明日にしよ。ま、こんなトコやな〉」「まさに鶴の一言である。今までの努力を認め、評価し、ねぎらいつつ、将来へのほのかな希望を暗示する」(寝首)と結論する。まぁこれは言ってみれば「大人の態度」なのだが田辺聖子先生は筋金入りの大人と言ってよい。田辺先生は1926年生まれ。吉本隆明、1924年生まれ、三島由紀夫1925年生まれとほぼ同世代である。3人とも戦前の教育を受け、敗戦を知るまで天皇陛下のために死ぬ覚悟であったことまでは共通している。三島はその観念を戦後も持続させ、市ヶ谷の自衛隊で切腹して果てる。吉本は天皇制の解明に挑み、「共同幻想論」として結実させる。田辺先生は戦後成立した市民社会を肯定的にとらえ、それまで嫁かず後家、オールドミスとさげすまされていた独身女子をハイミスと呼び、市民権を与えた。文化勲章の受賞も当然であった。

9月某日
「人生はだましだまし」の最後でおっちゃん、つまり田辺先生の夫の川野純夫氏の死が明らかにされている。川野氏が死んだのはいつだろうと気になったので、図書館で田辺聖子全集の別巻1を借りて年譜を確かめる。川野氏が亡くなったのは平成14(2003)年1月14日であった。別巻には菅聡子という人の「〈女手の反逆者〉田辺聖子論」が収録されていた。菅は「田辺聖子の作品や研究の言葉は、驚くほどまずしい」として、田辺先生が純文学(の新人)に対して授与される芥川賞を受賞したにも拘らず、その後の活動の場を、中間小説誌に移したことに対して、「当時の批評界はこの田辺の移動を好意的にとらえていない」とする。しかし田辺先生は批評界からは好意的に迎えられなかったかもしれないが、読者からは圧倒的に支持された。田辺先生は大衆、しかも働く女性たちに圧倒的に支持されていく。菅は「しかし田辺の小説のヒロインたちは、自由と独立を勝ち取っていく。現在の女性たちの元気な姿を、はるかに早く先取りしているのが田辺の小説である。それは恐らく、戦後の女性たちの姿に、女性が持つ底力を確信していたからだろう」とする。筆者の菅は1962年生まれ、修猷館高校からお茶の水女子大に進学、同教授に就任、2011年に亡くなっている。

9月某日
家にあった「夕ごはんたべた?」(田辺聖子 新潮文庫 昭和54年)を再読する。奥付では平成27(2015)年4月に26刷となっているから、2015~16年に購入して読んだと思われる。今回再読して細かなストーリーはほとんど忘れていることに気付いた。尼崎の下町で皮膚科を開業する中年医者、吉永三太郎と妻、3人のこども、三太郎の年の離れた弟を巡る物語である。単行本は75年9月に新潮社から刊行されている。物語の舞台設定は、ほぼ同時代の72~73年ごろと推定される。2人の息子は高校時代に学園紛争に関わり、自主退学を迫られる。田辺先生は開業医と結婚し、おっちゃんの3人のこどもを育て、男の子は積極的に学園紛争に参加したようだから、この小説の一部には田辺先生の体験が反映されているとみて差し支えないであろう。物語の終盤、三太郎はテレビのニュースで大学の卒業式のシーンに見入る。「このニュースに映っている大学は、かつて大学紛争のるつぼになったこともあったはずだ。学生たちの多くが凶器準備集合罪などというへんな罪名で引っぱられたり、傷ついたり、挫折して学業を放擲して離れた学園だ…戦後30年たって、またひしひしと重圧を増してきた旧い体制のしがらみ、拭いきれない陰のような空虚な権威主義、そういうものに若者が反撥したのだと思われる」。三太郎は連合赤軍事件にも感慨を抱く。「三太郎はごく平均的な社会人である…だから。赤軍派一派のごとき、無謀で独善的な過激理論を是認できない。しかし彼らが一途に煮えたぎってついに煮えこぼれ、自滅してしまった哀れさに、三太郎は人の子の親として涙せずにはいられない」。私はここに日本の庶民の最も良質な感性のあらわれを見る。

9月某日
「もうひとつの戦後80年-「終わりと始まり」の1995年から考える」(高橋哲哉 三牧聖子 須藤輝彦 伊達聖伸 岩波ブックレット 2026年4月)を読む。本書は2025年8月に開催されたシンポジュウム「戦後50年+30年としての現在から、世界に言葉を与える」の記録をもとに編集されたもの。昨日読んだ「夕ごはんたべた?」は時代設定が1972~73年ごろ、敗戦後27、8年である。本書の「1995年から考える」は終戦後50年の節目の年であり、当時の村山首相が日本の植民地支配と侵略に対して痛切な反省と謝罪を表明した年でもある。先週の沖縄知事選ではリベラル派の現職が保守派の新人に大差で敗れた。あの選挙もまた「終わりと始まり」かも知れない。「戦後を考える」ということは、先の大戦について考えるということでもある。なお高橋哲哉は元東大教授で加東典洋と日本の戦争責任と主としてアジア諸国民に対する謝罪について論争をした人である。