社長の酒中日記 11月その5

11月某日
愛知県の(一社)わがやネット(児玉道子代表)の水曜塾で「胃ろう・吸引シミュレータ」の話をさせてくれるというので「勤労感謝の日」だけれど名古屋へ。会場には工務店の経営者、リフォーム業者、訪問看護ステーションの理学療法士など10数人が集まる。シミュレータの実演はいつも介護士や看護師が対象なのだが、今回はちょっと違う雰囲気。でも皆さん発信力の強そうな人なのでアナウンス効果としてはかなり期待できそうだ。何人かと名刺交換をしたが、そのうちの一人が上京した児玉さんと一緒に神田で吞んだ(株)ノダ建材事業部の長田さん。日本福祉大学の大学院にも在籍しているそうで、たまたまこの日、中村秀一さんの講義があったという。世間は広いようで狭い。

11月某日
大学の同級生の雨宮弁護士の事務所へ社長退任の挨拶。5時を過ぎたので雨宮君に「今日予定入ってるの?」と聞くと「空いてるよ」というのでそのまま飲みに行く。弁護士事務所の近くの日本酒をたくさん置いている店に連れて行ってくれる。「雪の茅舎」など日本酒をぬる燗で。「日本酒はやっぱりぬる燗」で雨宮君と一致。雨宮君にすっかりご馳走になる。

11月某日
年友企画の株主総会で代表取締役社長を退任。社長に就任して2、3年は調子が良かったのだが、その後、社会保険庁は解体されるし年金住宅融資は廃止されるしで舞台は暗転、本当に苦しい時代が続いた。その私を支えてくれたのはやはり社員だ。社員の支えがあったからここまでやれたとつくづく実感する。社長を退任してもシミュレータの販売、「地方から考える社会保障フォーラム」、セルフケアネットワーク、雑誌の「へるぱ!」、SMSのカイポケマガジンなどの手伝いはするつもり。
株主総会の日、つまり私の社長退任の日はたまたま私の誕生日、11月25日だ。SMSの長久保君と神田明神下の「章太亭」で吞んでいたら、店の若女将が「あちらの方も今日が誕生日ですよ」と教えてくれる。私より5歳ほど年長で文芸春秋社の社長をやった池島信平の甥っ子だそうだ。11月25日は1970年のその日、作家の三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊総監部で総監を監禁、隊員に決起を促すが聞き入れられず、楯の会会員の森田必勝とともに自決した日でもある。そんなことを話しながら社員から退任記念にもらった高級ウイスキーを長久保君と吞んでいたらすっかり悪酔いしてしまった。

11月某日
図書館で借りた「日本はなぜ開戦に踏み切ったか―「両論併記」と「非決定」」(森山優 新潮選書 2012年6月)を読む。著者は1962年生まれ、現在は静岡県立大学の准教授。1941年12月8日、日本海軍はハワイ真珠湾のアメリカ太平洋艦隊に奇襲攻撃を敢行した。1945年の8月、日本の敗戦によって終結した3年半以上にわたって続いた対米英蘭戦争の始まりである。本書は日本が開戦に踏み切るに至る政治過程を各種資料から丁寧に追跡、明らかにしている。そこで明らかになるのは本書の副題にあるように、当時のリーダーたちの政治的意思決定場面における「両論併記」と「非決定」の実態である。政治的リーダーシップが欠如するなかで「両論併記」と「非決定」を繰り返したうえ、陸軍の主導する開戦論がなし崩し的に国策とされる。「非決定」は今も「決められない政治」として日本の伝統のようになっている感がある。しかし開戦に至るまで「非決定」が続いていれば開戦には至らなかったはずである。陸軍の開戦論を阻止できなかった政府首脳、重臣、そして天皇の責任は重いと言わざるを得ない。

11月某日
「7月24日通り」(吉田修一 新潮社 2004年12月)を図書館で借りて読む。地方都市のOLである「私」は自分の住んでいる町をポルトガルのリスボンになぞらえる。いつもバスに乗る「丸山神社前」は「ジェロニモ修道院前」だし「岸壁沿いの県道」は「7月24日通り」だ。このアイディアは冴えていると思う。地方都市の若いOLの抱える「閉塞感」とそこから脱出を願う「希望」がよく表れている。

11月某日
「星々たち」(桜木紫乃 実業の日本社文庫 2016年5月)を我孫子駅前の本屋で買う。帯に「松田哲夫氏激賞」とあったのでつい買ってしまう。松田哲夫は筑摩書房の編集者。呉智英とも友人で私の1年年長。桜木は北海道を舞台とする小説が多いようだがこの小説も北海道の母、娘、孫娘の三代にわたる性愛にまつわる物語。母は呑み屋の女将を続けながら流浪の男と同棲、困窮のうちに死ぬ。娘は交通事故で片足を失う。こう書くと悲惨な小説のように思われるかもしれないが、三代の女性のひたむきさが伝わり、孫娘の幸せな結婚を暗示するラストも悪くない。

11月某日
「薄情」(絲山秋子 新潮社 15年12月)を読む。この本も絲山のサイン入り。うちの奥さんが絲山のトークショーで買い求めたものだ。高崎市郊外に住む宇田川は神主見習い。それだけでは食べていけないので5月半ばから夏が終わるまで、嬬恋村でキャベツの収穫の手伝いに行く。宇田川と高校の同窓生の蜂須賀や木工芸家の鹿谷などとの交流が、上州弁でたんたんと描かれる。上州弁に限らず、栃木や茨城など北関東のなまりは独特。それが一種のリズムになっている。
さて社長を辞めたので「社長の酒中日記」はこれでお終い。12月中は「顧問の酒中日記」として当社のHPに掲載するが、1月からは独自のブログにしようと思っている。

社長の酒中日記 11月その4

11月某日

社会保険福祉協会の内田、高橋、岩崎さんとHCMの大橋社長と呑み会。社会福祉士で介護事業所向けの社会保険労務士事務所を開いている吉沢努さん、もとソラストで現在、東京精密グループで新規事業の開拓を行っている平田由紀子さんも一緒。6時に東京駅近くの会場「ヴァン・ドゥ・ヴィ」に行ったら社会保険福祉協会の皆さんと平田さんはすでに来ていた。遅れて当社の迫田と吉沢さんが到着。吉沢さんと平田さんは初対面、おまけに社福協と吉沢さん、平田さんも初対面ということだったが、「介護」の周辺で仕事をしているという共通の土俵があるのか話は盛り上がった。

11月某日
元宮城県知事の浅野史郎さんの出版記念会が内幸町のプレスセンターで開かれるというので社保研ティラーレの佐藤聖子社長と出席。札幌いちご会理事長の小山内美智子さんに挨拶。浅野さんの厚生省入省同期の江利川さん、川邉さん、結核予防会の竹下専務、内閣法制局にいた茅野さんと飯野ビル地下で2次会。

11月某日
佐藤雅美の「物書同心居眠り紋蔵」シリーズの「一心斎不覚の筆禍」(講談社 2008年8月)を図書館で借りる。シリーズの9作目である。居眠りの持病(今でいうナルコレプシーか)がある江戸南町奉行の同心、藤木紋蔵は過去の判例を調べる物書同心である。紋蔵の出会うさまざまな犯罪、難問を過去の判例を参考にしながら解いていくというなかなか考えられたストーリーである。江戸の刑事事件、民事事件がどのように裁かれたのか、当時の下級武士、庶民の暮らしに即して描かれている。江戸時代は現代のように社会保障制度があったわけではないが庶民はそれなりに暮らしていた。5人組など地域の組織がある程度、庶民のセーフティーネットの代替をしていたことに加え、短命で老後が短かったこと、子どもが多かったことも結果的に幸いしたのかもしれない。

11月某日
「小松とうさちゃん」(絲山秋子 河出書房新社 2016年1月)を読む。この本はうちの奥さんが絲山のトークショーに出掛けて買い求めたもの。従って本の見返しに絲山のサインがある。小松は大学の非常勤講師を掛け持ちする52歳の独身。新幹線で知り合った同年のみどりと恋愛関係に。うさちゃんとは小松の飲み友達の宇佐美のことでネトゲ(ネットゲームのことか)に夢中な敏腕サラリーマン。3人はそれぞれ仕事を持っているが、交流は仕事とは関係ない。仕事とは関係のない人間関係って大事だよな、小説のテーマとは関係なくそう思った。絲山は早稲田大学政経学部を卒業後、衛生陶器メーカーの営業マンをやっていた。そういうこともあってかビジネスパーソンの心理を描くのが上手いと思う。

11月某日
環境協会の林さんから電話。久しぶりでもないけれど吞むことにする。上野駅の改札で待ち合わせ、上野駅構内の居酒屋「かよひ路」に行く。ここはJR東日本の経営なので味も値段もリーズナブルだった。林さんは永大産業(若い人は知らないだろうが昔、そういうプレハブメーカーがあった)から年住協に入社、営業の要だった人だ。私はもっぱら年住協の機関誌「年金と住宅」や広報物の制作に関わっていたので企画関連の職員との付き合いが多かったのだが林さんとはなぜか気が合う。年住協の昔話で盛り上がる。

11月某日
朝方、割と大きな地震があった。朝風呂に入っていたのだが、お湯が波打っていた。慌てて風呂を出ると、福島県沖を震源地とする地震で震度5弱、福島県には津波警報が出ていた。地震の影響で電車に遅れが出て9時30分頃会社に着く。午後、HCMの大橋社長に面談した後、社福協で「介護職の看取り、グリーフサポート」についての検討委員会に出席。なかなか実のある議論が出来た(と私は思っている)。我孫子のレストラン「コ・ビアン」で川村女子学園大学の吉武民樹さんと打合せ。

社長の酒中日記 11月その3

11月某日
トランプ大統領の誕生はグローバリゼーションの恩恵が一部の階層にのみ集中し、労働者階級(とくに製造業の労働者)にまで行きわたっていないことの表れだと思う。トリクルダウン理論(富める者が富めば、貧しい者にも自然に富がしたたり落ちる)は、経済理論としても間違っていると思うし、トランプ政権も自らの支持基盤に配慮してトリクルダウン理論は執り得ない。従ってトランプ政権は内政的には所得の再配分政策を強めざるを得なくなると私は予想する。外交面では内向きの傾向になるし保護貿易の指向も強まるのではないか。億万長者のトランプを大統領にした共和党政権は、所得の再分配と保護主義という民主党的な政策をとらざるを得ないという皮肉な結果を生むだろう。
市川福祉公社から女性が2人、シミュレータを見学にHCM社を訪れる。反響は上々、HCMの大橋社長、開発者の土方さんは自信を深めたと思う。終わってからHCMの三浦さん、当社の迫田、酒井を交え会社近くの「跳人」で反省会。

11月某日
社会保険研究所のグループ経営会議。会議後、神田駅南口の居酒屋でグループ各社の経営幹部と呑み会。2次会で近くの葡萄舎へ。最初は数人と吞むつもりだったがほとんどの人がついてきたので葡萄舎にしては大宴会に。

11月某日
買ったままで読まずにいた「吉本隆明1968」(鹿島茂 平凡社出版 2009年5月)を読む。鹿島は1949年生まれ、68年に東大入学。ということは私と同世代。私は1948年生まれで一年浪人して68年に早稲田に入学した。待っていたのは学生運動とそれまで読んだこともない本の読書体験だった。吉本隆明も埴谷雄高も黒田寛一も大学に入って初めて読んだ。というか大学に入るまでは彼らの名前も知らなかった。鹿島は「はじめに」で吉本世代の心の支えとなった論文集として「擬制の終焉」「抒情の論理」「芸術的抵抗と挫折」「模写と鏡」をあげている。吉本隆明の思想の本質は「言語にとって美とは何か」「共同幻想論」「心的現象論」といった主著にはなく、「擬制の終焉」などのポレミックな論文集にあるというのだ。私は「言語にとって美とは何か」も「共同幻想論」も読んだことは読んだのだが、中身はよく理解できなかったというのが正直なところである。むしろ鹿島のいう「ポレミックな論文集」に大きな影響を受けた。私のささやかな全共闘体験とその挫折は吉本を読んだ体験とほぼパラレルになっていると思う。それにしてもと私は鹿島のこの本を読んで改めて思う。「吉本隆明はやっぱり戦後思想界の巨人だ」と。

11月某日
早大全共闘の1年先輩が高橋ハムさんこと高橋公さん。69年の4月17日、ハムさんや後に群馬大学の医学部へ進学した基司さんや辻さんなど40人ほどで革マル派が戒厳令を敷いていた大学の本部構内を突破、そのまま大学本部を封鎖した。これは私の全共闘体験のなかでも数少ない勝利体験だ。ハムさんは大学中退後、呑み屋の用心棒や魚河岸で働いた後、自治労の書記に採用され、今は「ふるさと回帰支援センター」の確か代表理事だ。そのハムさんから「今夜空いているか」との電話。指定された店に行くと内閣の「まち・ひと・しごと創生本部」の唐澤さんと北海道の上士幌町の竹中町長が来ていた。竹中さんは自治労出身ということだった。少し遅れて今は小豆島の町長をやっている元厚労省の塩田さんが来る。ハムさんにすっかりご馳走になってしまった。

11月某日
運営に関わっている地方議員向けの「地方から考える社会保障フォーラム」。初日は慶応大学の井手英策教授、SCNの高本真左子代表理事、それに前の日高橋ハムさんと一緒に呑んだ唐沢剛内閣府地方創生総括官。唐沢さんとは彼が荻島企画官の下で係長をしていたときに知り合った。知り合って間もないころ「モリちゃん、おんなじ大学同士だから仲良くしようよ」と言われたので「よく間違われるけど俺は東大じゃないよ」と答えたら「違うよー早稲田だよ」と言う。その頃は早稲田を出て中央官庁のキャリアになる人は珍しかった。フォーラムにはケアセンターやわらぎの石川はるえさんも参加してくれたので意見交換会のあと、神田の結核予防会の竹下専務と高齢者住宅財団の落合さんが吞んでいる葡萄舎へ。

社長の酒中日記 11月その2

11月某日
「薔薇の雨」(田辺聖子 中央公論社 1989)を図書館から借りて読む。「薔薇の雨」を読むのは2度目か3度目。私は同じ本を再読三読することはあまりしないのだが田辺聖子だけは別。同じ小説を何度読んでも飽きることがない。「薔薇の雨」には5編の短編が収められていて、5つの愛の「かたち」が描かれている。例えば「鼠の浄土」では後妻に入った丹子と夫と義理の息子との葛藤がテーマ。子連れ医師の「カモカのおっちゃん」の後添えとなった田辺の体験が生きているのかもしれない。「お手紙下さい」は売れっ子シナリオライターが東京での不倫スキャンダルから逃れて京都に逃避し、そこでのブティック経営者(この人も妻を亡くしている)との出会いと恋がストーリー。「良妻の害について」は姑に仕え、夫の浮気にも文句を言わず耐えてきた「私」が、「一口最中」をきっかけに自立する話。「君や来し」はわがままな義理の妹の見合いに付き添った佐代子と、義理の妹の見合いの相手とのラブストーリー。表題作の「薔薇の雨」は50歳の留禰と15歳下の守屋の恋物語である。いずれも描かれているのはラブストーリであるが、一貫したテーマは女性の自立であるように思う。専業主婦にしろ仕事を持つ女性にしろいろいろなしがらみに縛れて生きている。「ときにはしがらみから離れてみよ!そして身軽になってみよ!」というのが田辺のメッセージだと思われる。そこが田辺が女性に圧倒的に支持される理由の一つなのだろう。

11月某日
HCMの大橋社長と富国生命の「経済講演会」を聞きに帝国ホテルへ。講師は岡崎哲二東大大学院経済学研究科教授でテーマは「経済史の新しい見方 制度と組織の経済史」。岡崎先生というお名前は聞いたことがないが、スタンフォード大学の客員教授とか経済産業研究所のフェローという経歴それに「制度と組織の経済史」というテーマからして、亡くなった青木昌彦の系譜だろうと思う。岡崎先生はA.トインビーの「歴史の教訓」から「未来に起こりうるもろもろの可能性について少なくとも一つの可能性を示す」ことが歴史とりわけ経済史の使命であるとし「現在、当然のことと受け入れられている状態は必ずしも普遍性を持たない」と続けた。日本の金融が株式市場等からの直接金融ではなく銀行等からの間接金融が中心という現在の常識も、戦前は株式市場が機能を果たし直接金融が盛んだったという例により必ずしも普遍性を持つものではないという。また従来、技術進歩、資本蓄積、人口の増加が経済発展をもたらしたというのが経済学の常識だったが、技術進歩、資本蓄積、人口増は経済発展そのものであり、むしろ「国家による所有権の保護」と「国家からの所有権の保護」が経済を発展させたのであり、名誉革命の経済的意味はそこにあると指摘した。なるほどねー。経済史的に制度の役割を見ているわけだ。11世紀に地中海世界で「商業の復活」があったのも「自律試行的(プレイヤーが制度に従うインセンティブを持つ)な私的制度が国家による契約執行を代替していたから」という。なかなか納得できる話ではある。今度、機会があれば先生の著作を読んでみたいと思う。なるべく分かりやすいのをね。講演後、パーティに参加して富国生命の矢崎さんに挨拶、その後、大橋社長にご馳走になる。

11月某日
昨日(11月7日)の日経の朝刊に日経イノベーションフォーラム「AI時代を勝ち抜くために」(共催・リコー、日本将棋連盟)の要約が掲載されていた。脳科学者の茂木健一郎の基調講演がAIと人間の関係の本質を突いているように思うので以下抜粋する。「人間は記憶力、計算能力、論理的推理能力ではAIに勝てません。勝てるのは人格力です。人格力とは開放性、誠実性、外向性、協調性、神経症的傾向で構成されます。人格力を磨くことがAIの時代に非常に大事ですが、羽生王座の強さの秘密もそのあたりにあるように思います」。

11月某日
かいぽけマガジンの取材で堤修三氏にインタビュー。当社に来社してもらう。テーマは「要介護度が改善した場合、事業者にインセンティブを与えるべきか」。結論から言うと堤さんの考えは、金銭的なインセンティブは必要ない、むしろ要介護度を改善させた事業者には市長から表彰するなどしたらどうかという意見だった。事業者にとっては宣伝になるし被保険者には事業者選択の目安の一つになりうるというもの。インタビュー後、堤さんとSMSの山田君、当社の迫田、酒井と会社の向かいの「ビアレストランかまくら橋」で食事。

11月某日
米大統領選挙で共和党のトランプ氏が大方の予想を裏切って当選。予備選に出馬した段階では泡沫候補に過ぎなかったトランプ氏が、あれよあれよと見る間に予備選を勝ち上がり、ついには本選を制してしまった。日本の株価は下落し円相場は上昇した。アメリカの大統領は国家元首と行政府の長を兼ね国軍の最高司令官。核兵器使用の命令を出すのも大統領だ。超大国アメリカの絶大な権限を持つ最高権力者である。政治家や軍人の経験のない大統領はトランプ氏が初、加えて日頃の言動からトランプ氏の大統領としての手腕を疑問視する論調を多く目にする。私は少し違う見方。権力を持てば言動に注意せざるを得ない。そこが候補と現職大統領の大きな違いだ。もうひとつは実際の政策については、経験がないだけにブレーンや閣僚の意見に耳を傾けざるを得ないということ。トランプ氏はヒットラーにならないしなれないのだ。

社長の酒中日記 11月その1

11月某日
図書館で借りた「オライオン飛行」(高樹のぶ子 講談社 2016年9月)を読む。新聞の書評欄の紹介で面白そうと思い図書館にリクエストした。先日読んだ桐野夏生の「グロテスク」は人間の悪意、憎悪、欲望を抉ったものだが、本書はミステリーじみた恋愛物語。余り肩に力を入れずに読むことが出来た。1936年11月フランス人飛行家アンドレ・ジャビーはパリの飛行場を東京に向け飛び立つ。パリ―東京間を100時間以内で飛んだものに、今のお金で1億から2億円の賞金がフランス政府により提供されることになっていた。しかしアンドレの操縦する飛行機は東京を目前にした佐賀県と福岡の県境にある背振山に墜落する。アンドレの命は助かったが脚部を骨折し、九州帝大病院に収容される。九州帝大病院では手厚い医療を受けるうちに美貌の看護婦、久美子と恋に落ちる。しかし傷が癒えるとともにアンドレは帰国、二人は引き裂かれる。時代は現代にとび、久美子の持ち物だった懐中時計は血の繋がるあやめに引き継がれる。アンドレ・ジャビーは実在の人物で、背振山に墜落したのも歴史的事実(ネットで検索した)。そこから日本人看護婦との恋物語や懐中時計を巡るストーリーを編み出した高樹のぶ子の作家的力量に脱帽。

11月某日
元厚労省の川邉さんからIBMの顧問を辞めるというメールが来たので結核予防会の竹下専務と会社近くの「ビアレストランかまくら橋」で軽く慰労会。川邉さんは元厚労次官の江利川さんや元宮城県知事の浅野さんと厚生省の同期。江利川さんの後任として川邉さんが年金局資金課長に就任して以来だから、もしかすると30年以上の付き合いになるのかもしれない。ほとんど利害関係のない言わば「君子の交わり」だから長続きするのだと思う。川邉さんと別れた後、竹下さんと神田駅近くの葡萄舎へ。

11月某日
家の近所でしかも同じ小中高学校に通うケースはあまりないのではないかと思う。ところが私の場合は結構いる。小中高とも公立で、高校受験が小学区制だったことによることが大きい。私と私の近所の友達は道立室蘭東高校しか受験できなかった。この高校は第一次ベビーブーム世代を対象に新設された高校で、私は2回生。1回生には連続企業爆破事件の東アジア反日武装戦線のメンバーで逮捕当日、自殺した斎藤和や大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した久田恵がいる。私と家が近所で小中高が一緒だった佐藤正輝は札幌でソフトウエア会社を起業して成功している。正輝が上京するというので神田の葡萄舎を予約、当日は私を入れて9人が集まった。そのうち女子(と言ってもみんな60代後半のばあさんですが)は3人いた。9人のうち私と正輝、高卒後上京して劇団に入り今は照明の仕事をしている山本、青学を出て日航のパーサーになった上野の4人が小中高が一緒。高齢になっても子供時代の友人は貴重。楽しい時間を過ごした。

11月某日
図書館で借りた「華族の誕生」(浅見雅彦 講談社学術文庫)が面白かったので同じ作者の「公爵家の娘-岩倉靖子とある時代」(リプロポート 1991)を図書館で借りる。岩倉靖子というのは岩倉具視のひ孫で、学習院から日本女子大に進学、中退後に日本共産党のシンパとなり、治安維持法違反の容疑で逮捕拘留される。8か月間拘留されたのち釈放されたが、10日後の昭和8年12月、かみそりで頸動脈を切り自死した。昭和8年とは日本が国際連盟から脱退した年であり、日本は満州事変により満州に傀儡政権を樹立し、大東亜戦争への道をひた走っていた時期である。何が公爵家の娘を左翼運動に走らせたのか興味深いが、帝政ロシアでも革命運動の一翼を担ったのは貴族であった。ブルジョア階級の一部が先鋭化することもあるということだろう。

11月某日
坂東真砂子の「瓜子姫の艶文」(中公文庫 2016年10月)が書店に並んでいたので手に取ると帯に「著者最後の長編小説」とある。そうだ坂東真砂子は死んだんだ、と買うことにする。今まで何冊か読んだが、オドロオドロしくて土俗的な作風が印象に残っている。本書は伊勢、松阪の遊女、伽羅丸が主人公。彼女は客の木綿問屋主人、玄右衛門に本気で恋い焦がれ玄右衛門の後添えに収まることに成功する。しかし徐々に明らかになる主人公と玄右衛門の過去と因縁。私は「土俗」を感じるのだが、坂東が高知出身(土佐高)というのも関係あるかもしれない。高知はたしか「土佐源氏」の本場。坂東は土佐高から奈良女子大住居学科に進学、卒業後イタリアで建築とインテリアを学んだ。そういえばイタリアもカトリックで、ヨーロッパのなかでは「土俗的」な感じがする。

社長の酒中日記 10月その4

10月某日
HCMの大橋社長と三浦さんとで鎌倉河岸ビル地下1階の「跳人」へ。大橋さんと三浦さんは青森東高校の卓球部の先輩、後輩。「跳人」も青森出身者のお店。ビールで乾杯後、私と三浦さんはウィスキーのソーダ割、大橋さんは水割りにする。シミュレーターや卓球の話をするうちにすっかり出来上がってしまった。

10月某日
社会保険研究所で「介護保険情報」の校正をお願いしている渡辺さん(通称ナベさん)と久しぶりに葡萄舎で吞む。ナベさんとは40年以上前に日本木工新聞社という業界紙で一緒だった。ナベさんは早稲田大学英文科の出身、フォークナーを専攻したそうだが、そういう話をしたことはない。木工新聞在社中は一緒にやった麻雀と組合運動が印象に残っている。ナベさんは木工新聞を2年くらいで辞めて医書の専門出版社へ移っていった。今はどうか知らないが当時、医書の出版社は給与水準が高く羨ましく思ったものだ。それから1年くらいで私も木工新聞を辞めて、日本プレハブ新聞社に移りしばらく交流は途絶えていた。交流が復活したのは私が年友企画に転職してしばらくしてから。ナベさんが医書の出版社を辞め、フリーの校正者をやっていると聞いてから。「介護保険情報」が創刊されたとき、その校正をお願いすることになった。途中、空白があったにせよ40年以上も交流が続くということはやはり気が合うのだろう。

10月某日
桐野夏生の「グロテスク」(文春文庫 2006年 単行本2003年3月)を読む。「週刊文春」に2001年1月から2002年9月まで連載されている。この小説は1997年3月に東京渋谷の円山町で起きた「東電OL殺人事件」を下敷きに書かれている。実際の事件では、慶應大学経済大学を卒業した東京電力に勤める39歳の女性が被害者で、実は彼女は円山町界隈で常習的に売春行為を行っていたことが報道合戦の中で明らかにされ、大きな話題となった。ノンフィクション作家の佐野眞一が「東電OL殺人事件」(新潮社)を2000年に出版している。私は「東電OL殺人事件」を発刊当時に読んだが、エリート女性が売春をするという「心の闇」が明らかになっていないのではと感じたものだった。桐野の「グロテスク」はフィクションではあるが「現代の闇」を見事に切り取っていると思う。
小説ではG建設に勤めるQ大卒のエリート女性、和恵と彼女のQ女子高校の同級生で物語の語り手でもある「わたし」、「わたし」の妹で類いまれなる美貌の持ち主ユリコ、成績は学年一番で後に東大医学部へ進学するミツルという4人の女性、それに犯人とされる中国人チャンの独白と日記によって構成される。それぞれが魅力的である意味「グロテスク」な個性の持ち主なのだが、私は中国四川省の農村部に生まれ、妹を日本への密航途中で水死させるチャンに惹かれた。「中国人は生まれた場所によって運命が決まる」。小説中に出てくる文章だが、一種の東洋的な運命論だと思う。チャンに殺されたとされる和恵とユリコ、医者になった後にオウム真理教を思わせる宗教に入信したミツル、Q大卒後、区役所のアルバイトを続ける「わたし」にもそのことは言えるのではないか。

10月某日
民介協のフィリピン視察の報告書を民介協に提出。以下は「日本とフィリピンの比較」部分の要約である。
フィリピンは国土面積、人口とも日本の8割程度だが人口減少の日本に比較すると、フィリピンの人口はまだまだ増加する余地がある。フィリピンの合計特殊出生率は2014年に初めて2.98と3を切り、人口の伸び率は鈍化しているものの、増加数はおびただしい。ちなみに30年前の1986年のフィリピンの人口は5549万人だったが、2016年には倍近い1億420万人となった。経済成長率が5.8%(日本は0.15%)と高いのに、失業率も6.3%と高いのは、労働力人口が国の経済力を越えて過剰なためである。フィリピン中央銀行の政策金利は翌日物借入金利の3%を中心に2.5~3.5%。物価が堅調なため2011年の4%台、2007年の7%台よりは下がっているが、それでもマイナス金利の日本より格段に高い。ちなみに日本の公定歩合は0.3%。日本は労働力不足で資金が過剰、フィリピンは労働力が過剰で資金不足なのは明白だ。「フィリピンの労働力を日本へ。日本の資金をフィリピンへ」というのが普通の流れと言えないだろうか。

社長の酒中日記 10月その3

10月某日
シルバーサービス振興会の月例研究会を聞きに行く。今回のテーマは「高齢者が要介護状態に陥る過程を正しく理解し、「老いの生き方」を考える」で副題は「日本老年医学会が提唱する「フレイル」の概念と研究成果を理解する」。講師は桜美林大学老年学総合研究所所長で医師の鈴木孝雄氏。結論から言うと非常に面白かった。私も今年68歳、世間では立派な老年の部類である。だから鈴木氏の講演も他人事ではなく自分事として聞いた。印象に残ったのはフレイル、肉体的虚弱のことだが、脳のフレイルが認知症でありどちらも早期に取り組めば予防可能なこと。認知症の危険因子には加齢や遺伝因子という不可逆的なものもあるが、予防や管理が可能な可逆的因子もある。高血圧、糖尿病、高脂血症といった生活習慣病リスクの管理、適度の飲酒(赤ワインがいい)、喫煙習慣の停止である。鈴木氏が強調したのは、①中度以上の身体活動②知的活動の実施③社会活動の実施、の3点でソーシャルダンスがお勧めということだった。私はゴルフもいいと思いますけどね。

10月某日
初台リハ病院や私が入院していた船橋リハ病院を運営しているのが「輝生会」。その理事を務め日本訪問リハビリテーション協会の会長もやった伊藤隆夫さんが退職するということは前にも書いた。我孫子でご馳走してくれるというので「コ・ビアン」で6時に会う。私が脳出血で倒れた後、救急車で運ばれたのが柏の名戸ヶ谷病院。退院するころに当時、厚労省にいた中村秀一さんから「退院したらどうするの?」と聞かれ「どこか近くのリハビリ病院にしようと思う」と答えたら「船橋リハビリ病院がいいからそこにしなさい。伊藤隆夫さんという理学療法士に頼んであげる。伊藤さんも早稲田だよ。革マルだけど」と言われたのを思い出す。私は「革マルかぁ。まさか入院患者を襲うことはないだろう」と思ったのは事実です。だけど船橋リハ病院は大正解で、伊藤さん以外のOT、PTもとても有能でやる気があった。病室も食事も実に快適であった。そんな昔話のあと、伊藤さんが退職後に移住しようとしている和歌山の話に。和歌山高齢者生活協同組合の市野さんや生活福祉研究機構の土井さんのことを話して「いずれ紹介しますよ」ということにした。

10月某日
図書館で「華族誕生―名誉と体面の明治」(浅見雅男 講談社学術文庫)が目についたの借りることにする。華族とは明治維新後に旧幕時代の公家、将軍家、大名および明治維新に功績のあった士族たちに与えられた「公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵」の称号とそれに見合った処遇を得た人々のことだ。現行憲法の発効と同時に消滅したし、およそ庶民とはかけ離れた存在であることは確かなのだが、先ごろ三島由紀夫賞を受賞した蓮見重彦の「伯爵夫人」からもわかるように小説世界では身近な存在だ。どういう爵位を授けるかには公爵は旧摂家、徳川宗家、国家に偉勲ある者、侯爵は旧清華家、徳川三家、旧大藩知事、旧琉球藩王、国家に勲功ある者といった基準があったのだが、「あいつが侯爵なのに俺はなんで伯爵なのか」といった不平不満は結構あったらしい。そこらへんの人間臭いエピソードを交えて家族という視点から明治という時代を巧みに描いていると私には思えた。

10月某日
本日より3泊4日の予定でフィリピン出張。介護現場の人手不足は深刻で厚労省の推計では2025年には約38万人が不足するといわれている。EPA(経済連携協定)でフィリピン、インドネシア、ベトナムの「介護福祉士」候補を受け入れているが、これまでの累計で3800人にとどまっている。今回の出張ではフィリピンで介護福祉士候補に日本語教育を実施しているNTトータルケアの協力を得て、日本語教育現場を視察さらに日本語教育を受けている学生さんと模擬面接をすることになっている。朝、7時半に民介協の佐藤理事長、阿部副理事長、三木副理事長、扇田専務、それにソラストの柴垣さんと待ち合わせ。マニラ空港到着後、迎えの車でマニラ首都圏モンテンルパ市のアラバンにある「NTセンター」を訪れるとNTグループの高橋会長が迎えてくれる。日本語を学習している教室を見学した後、4人の学生さんと個別に模擬面接をすることが出来た。4人はいずれも看護師の資格を持つ。日本語はまだ片言だが日本で介護の仕事をすることについての強い熱意を感じた。
夕食は近くのカントリー俱楽部のレストランで高橋会長にご馳走になる。高橋会長の隣に座ったのでいろいろな話を聞くことが出来た。NTトータルケアの本社は大阪にあるが、会長は新宿区の中井で小学生まで過ごす。それから大阪へ移り大学は慶応大学。応援団に所属していたそうで当時の6大学野球にも詳しかった。ネットワールドホテルに宿泊。

10月某日

9時にホテルを出発。NTトータルケアが経営するリタイアメントコミュニュティTropical Paradise Village(以下パラダイスと略)を視察。マニラから車で3時間ほど北上、クラーク空港のさらに先にパラダイスのあるスービックがある。米軍の海軍基地があったところで治安も良好という。パラダイスの本部でトロピカル・フルーツをいただきながら門口施設長から話を伺う。フィリピン人スタッフの多くは「NTセンター」で日本語研修を終えた後、パラダイスへ来て日本語会話力を磨きつつ介護の実際や日本の習慣、社会人としての常識も学ぶ。現在、94歳を筆頭に6人の高齢者がパラダイスには住んでいる。建物は元米軍将校の宿舎だったものを50年リースで国から借りているという。規格はアメリカ規格で当然のようにバリアフリー化されていた。スービックで中華料理をいただいてからホテルへ帰る。

10月某日
高橋会長がメンバーのKCカントリークラブで懇親ゴルフ。私は高橋会長、扇田専務と回る。高橋会長はシングルの腕前で、クラブチャンピオン杯で準優勝したこともあるそうだ。アウトの途中で高橋会長が抜け、最後の3ホールは5人で回る。フィリピンでは1人に1人のキャディが付く。それも非常に親切だ。私が杖を突いているからか私のキャディはとくに親切に感じた。チップをついつい弾んでしまう。ホテルに帰り近くの中華飯店で食事。

10月某日
私と扇田専務以外は朝6時集合で関空へ。私と扇田専務は朝食後、ホテル近くのダウンタウンを視察する。市場では野菜や魚、肉、お菓子などの食料品、衣料品などが売られている。台湾でもそうだったが、あまり住居内で調理や食事をする習慣がないらしく路上の屋台で食事している人が多かった。華僑の信仰を集めているらしい中国寺院を見学した後、市場を出ようとするとフィリピン人が日本語で話しかけてくる。なんでも埼玉にいたことがあるらしく、西武池袋線などの話をする。市場を出るころ一人100ペソくれと言ってくる。拳銃を持っているとかこのへんの親分とかいって脅してくるが、扇田さんは一切取り合わない。ホテルに近づいたら姿を消してしまった。
ホテルのロビーで一休みした後、少し早いが空港へ。時間があるので空港のマッサージ店に行くことにする。マッサージ店の近くに人だかりがしている。ドゥルテ大統領が日本へ行くので式典があるようだ。マッサージを終わるとちょうどドゥルテ大統領が演説をしているところだった。マッサージ店の店員も「大統領は大好き」と言っていた。大統領は私と扇田さんの30メートルほど先をゆっくりと歩いて過ぎて行った。大統領の訪日のためか私たちの飛行機は1時間以上遅れて飛び立った。

社長の酒中日記 10月その2

10月某日
図書館で借りた「人情時代小説傑作選 親不孝長屋」(新潮文庫 縄田一男選)を読む。著者は池波正太郎、平岩弓枝、松本清張、山本周五郎、宮部みゆきの5人のアンソロジー。平岩と宮部を除くと物故者。池波は90年に67歳で、松本は92年に81歳で、山本は67年に64歳で亡くなっている。松本は平均寿命といえそうだが池波と山本はいかにも若い。現代では早死にの部類だろう。ストーリーはいずれも単純な人情もの。とは言ってもいずれも一流の書き手だけにそれぞれ「読ませる」。なぜ人は、そして自分は人情ものの時代小説に惹かれるのだろうか?ひとつの答えは江戸の下町という時間、空間がもたらすものだと思う。現代とは時空を隔てること2~300年というのが逆にストーリーにリアリティを生むということではなかろうか。

10月某日
図書館に行ったら文春新書の「ポスト消費社会のゆくえ」(辻井喬、上野千鶴子 2008年5月)が目についたので借りる。辻井は堤清二のペンネームで西武セゾングループの総帥、池袋の地元デパートに過ぎなかった西武百貨店を、流通、ホテル・リゾート、金融などの一大グループに育て上げたがバブル崩壊とともにグループの経営が危機に瀕し、堤は百億円の個人資産を提供、グループは解体した。一方、辻井喬のペンネームで多くの詩や小説を発表している。父は自民党の代議士で衆議院議長も務めた堤康次郎。清二は戦後、東大に入学し共産党に入党しのちに除名されたことでも知られる。上野のインタビューに辻井が答えるという形式になっているが、楽しそうに語り合っている雰囲気が伝わってきそうな対談集である。上野が以前、西武百貨店の社史を分担して執筆したことがあり、西武グループの内情に詳しいということもあるが、上野も京大で学生運動を体験したということから同じような匂いがするのかもしれない。堤清二、辻井喬という複雑な人格の一端に触れることが出来たような気がする。

10月某日
茨城県の笠間市役所を取材。クラウドを使って意欲的に地域包括ケアシステムを進めている。介護保険制度が始まったのが確か今から15年くらい前。パソコンも今ほど普及していなかったしクラウドというシステムもなかった。今後さらに少子高齢化が進み、労働力人口は減る。ICTやロボットの活用、外国人労働者の活用も視野に入れて行かざるを得ないし、ICTの活用はすでに始まっている。逆に言うとICTの活用なくして介護の労働力不足を補うことはできないという現実がある。それは民間も自治体も一緒だと思う。

10月某日
笠間市の取材を終わって帰社。会社近くの「ビアレストランかまくら橋」で唐牛健太郎氏の未亡人真喜子さん、堤修三さん、昔、厚生省で堤さんの部下だった岩野さんと会食。岩野さんは京都生まれの大阪育ちということで京都育ちの真喜子さんと話が合ったようだ。少し飲みすぎたが、私は我孫子駅前の「愛花」へ。

10月某日
「シルバー民主主義-高齢者優遇をどう克服するか」(八代尚宏 中公新書 2016年5月)を読む。国民皆保険にしろ国民皆年金にしろわが国の社会保障の大枠は昭和30年代に決められた。その頃は人口に占める高齢者の割合はまだ低かったし経済は高度成長期を迎えたときでもある。それから半世紀を経た現在、事態は大きく変化している。高齢者比率は増大し、高齢者を支える現役世代は減少に転じている。経済は低迷し長くデフレ状態が続いている。しかも高齢者世代の投票率は高く、現役世代の投票率は低い。だから政治家はどうしても高齢者の既得権を守ろうとする。必要な改革が一向に前進しない。これがすなわち「シルバー民主主義」である。著者の言うことは実に全うだと思う。その中でも子育てを家族の負担だけでなく、広く社会全体でシェアするという「育児保険」の考え方は目から鱗が落ちる考え方だ。世代間の所得の再分配だけでなく高齢者世代間の所得の再分配を強化せよというのも卓見と思われる。高齢者には貧困層もいれば富裕層もいる。高齢の富裕層に対する年金課税や資産課税を強化して貧困層に給付するというものだ。今は年金受給者というだけで富裕層も年金課税を免れている。これもシルバー民主主義である。高齢者の多くが救済されるべき時代は終わり、高齢者も応分の負担をしなければならなくなったわけである。私たち団塊の世代から始めないとね。

10月某日
「健康・生きがいづくり財団」の大谷常務と神田の葡萄舎で待ち合わせ。約束の7時に行ったら大谷さんは、和歌山で「地域に根ざした健康生きがいづくり支援」をやっているNPO法人和歌山保健科学センターの市野弘理事長を伴って来ていた。市野さんは花王の元社員でヨーロッパを中心に海外でビジネスを展開してきた経験を持つ。NPO法人だけでなく和歌山いのちの電話協会や和歌山高齢者生活協同組合にもかかわっているというマルチな人だ。和歌山には生活福祉科学研究機構の土井さんもいるし、医療法人の輝生会の理事を退任した伊藤隆夫さんも、奥さんの実家がある和歌山に移住すると言っていた。今度、紹介しようと思う

社長の酒中日記 10月その1

10月某日
昨日は京都府南草津の医療機器メーカー「ニプロ」の研修施設に行って「胃ろう・吸引」と「気管カニューレ」のシミュレーターの売り込み。看護師3人が熱心にこちら(といっても説明役はもっぱら開発者の土方さん)の説明を聞いてくれた。続いて大阪の介護支援専門員協会で福田次長と雨師部長に説明。こちらも看護師なので理解が早い。シミュレーターは介護士の医療行為の一部解禁を契機に介護職を主なターゲットとしていたが、やはり医療職の方が理解は早いようだ。今日は私だけ名古屋へ。建築家の児玉道子さんと単行本やシミュレーターについて打合せ。

10月某日
田辺聖子の「私の大阪八景」(岩波現代文庫 2000年12月)を読む。田辺の分身である主人公トキコの戦中時代を描く自伝的小説である。小説は「その1民のカマド(福島界隈)」、「その2陛下と豆の木(淀川)」「その3神々のしっぽ(馬場町・教育塔)」「その4われら御楯(鶴橋の闇市)」「その5文明開化(梅田新道)」の5部構成。その1は同人誌「のおと」8号に昭和36年に発表されている。その4は「文学界」の昭和40年9月号に掲載され、その5は単行本(文芸春秋新社)刊行時に書き下ろされている。田辺はその4と5の間に「感傷旅行」で芥川賞を受賞している。作家の環境には大きな変化があったのだが文体に大きな変化は少なくとも私には感じられない。これは田辺の初期の名作「花狩」にも言えることであり、田辺はデビュー当時から完成された文体を持っていたのである。写真館の娘であるトキコの小学生がその1に、女学生がその2、その3、女子専門学生がその4、敗戦後の商店事務員がその5で描かれている。戦中、トキコは無論のこと軍国少女であるが、淡い初恋もするし戦争を嫌う若い女教師との交流や朝鮮人牧師ボク先生との出会いもある。私の母は田辺よりもやや年長だが、子どものころ「戦争だけは絶対いけない」と聞かされた記憶がある。田辺には他に戦争で結婚の機会を失ったオールドミスを描いた短編など戦争の痕跡を感じさせるものがいくつかある。

10月某日
「怒り」(吉田修一 中公文庫 2016年1月 単行本は2014年1月)を読む。上下巻で500ページ以上の作品だが一気に読んでしまった。東京郊外の住宅地で夫婦が惨殺される。新宿でソープランドに勤めていた娘を故郷の房総の漁港に連れ戻す男、沖縄の波留間島で民宿に勤める母と暮らす女子高生、東京の広告代理店に勤めるゲイの青年、犯人を追う刑事、などなどいくつかのエピソードが目まぐるしく交差する。交差するのだけれどストーリーは非常に秩序だっていてわかりやすい。吉田修一の作家としての並々ならぬ力量を感じさせる。「怒り」は渡辺健主演で映画化されている。映画を観た原作を読んでいない私の奥さんが「映画ではこうだったけど原作はどうだったの?」と聞くのだけれど私は「さぁーどうだったかな」とはなはだ頼りない。ストーリーが面白いと物語にのめり込みすぎて筋の細部は記憶から飛んでしまうということってありませんか?

10月某日
船橋リハビリテーション病院でお世話になった伊藤隆夫さんが輝生会を退職したという話を聞いたので青海社の工藤社長に連絡を取ってもらって我孫子で会うことにした。何故、我孫子かというと工藤社長も私も我孫子に住んでいるし、伊藤さんは我孫子の先の藤代在住だからだ。ついでと言っては何だけど我孫子在住の吉武民樹川村女子学生大学教授も誘う。前にも一度利用したことのある我孫子駅南口の「海鮮処いわい」を6時に予約。私が6時前に到着してビールを吞んでいると伊藤さんが来る。吉武さんが少し遅れるということなので工藤社長が来たところで乾杯。工藤社長は糖尿ということで酒は控え気味ということだった。吉武さんも加わって話はさらに盛り上がった。3人と別れて私は一人で我孫子駅前の「愛花」へ。

10月某日
介護職に一部医療行為が解禁されたことを受けて、介護職の手技トレーニング用にデザイナーの土方さんが開発したのが「胃ろう・吸引」マスター。これに「気管カニューレ吸引」のシミュレーターが加わったので、開発者の土方さん、販売のHCMの大橋社長、それに当社から私と迫田、酒井が加わって実技演習と販売会議をHCM社で。当初想定していた介護職からの関心は一部を除いて低いものの、看護職の多くは高い関心を示してくれる。途中から開発に協力してくれた「硬質ウレタン樹脂」成型メーカーの亀井社長も参加してくれた。会議が終わって、打合せがある亀井社長を除いて西新橋の「おんじき」へ。

社長の酒中日記 9月その4

9月某日
三島由紀夫賞の受賞会見で著者、蓮見重彦のとぼけた受け答えで話題となった「伯爵夫人」(新潮社 16年6月刊)を読む。舞台は戦前の東京、中国大陸と欧州の戦火が拡大し太平洋での新たな戦争も予感される昭和16年。主人公は来年、帝大の受験を控える二朗と二朗の屋敷に同居する謎の伯爵夫人。伯爵夫人は倫敦で高級娼婦やスパイもどきの冒険を経験した過去を持つ。伯爵夫人の性体験が「熟れたまんこ」「金玉」という俗語、卑語とともに明らかにされる。この小説はひとつの文化の成熟、爛熟と退廃を背景にして成立する。明治から大正、昭和にかけて成熟してきたひとつの文化は、昭和戦前期の爛熟、退廃を経て敗戦により終焉を迎える。同じように江戸の文化は文化・文政期の爛熟と退廃を経て明治維新により終焉する。小説の本旨とは違うが小説を読みながらそんなことを考えた。

9月某日
夜半に目が覚め何気なくNHKBS1にチャンネルを合わせるとチェ・ゲバラの映像が。キューバ革命が成功してからゲバラは中央銀行総裁、工業相などを歴任しながら、やがてすべての要職を辞任しアフリカ、コンゴや南米ボリビアでの武装ゲリラ闘争に赴く。番組ではその背景には現実主義者のカストロと世界革命の理想を追うゲバラとの確執があったことを、当時のゲバラの側近や歴史家、ジャーナリストのインタビューを通して明らかにしていく。キューバとアメリカが国交を回復し、日本とも国交を回復した。カストロは昨年、国家評議会議長の座を弟のラウルに譲った。一方、ゲバラは50年近く前の1967年10月、ボリビア山中で政府軍に捕えられ銃殺されている。カストロの路線が正しかったことは明らかだが、ゲバラの考えや彼が理想としてきたことは人民の記憶に永久に残ると思う。

9月某日
佐野真一の「唐牛伝-敗者の戦後漂流」の出版記念報告会に参加。受付で唐牛さんの未亡人、真喜子さんと浪漫堂の倉垣君に挨拶。報告会は2部構成で1部は元外務省の孫崎と佐野の講演。孫崎と佐野の講演はそれなりに面白かった。講演会後のパーティでは唐牛さんの墓をデザインした秋山祐徳太子や元ブント叛旗派の三上治といった人たちが挨拶していた。結核予防会の竹下さんと途中で抜け出し、新橋の「鯨の胃袋」へ。フィスメックの小出社長も来る。3人で神田のスナック「昴」へ。

9月某日
図書館で借りた佐藤雅美の「物書同心居眠り紋蔵-魔物が棲む町」(講談社文庫 2013年2月 単行本は2012年2月)を読む。物書同心とは今でいう調書を取る人。居眠り紋蔵は今でいうナルコレプシーなのか、所かまわず居眠りをしてしまう。ついたあだ名が居眠り紋蔵である。町奉行の長官には直参の旗本が就任する。今でいうキャリア官僚である。しかしその下の与力、同心は一代限りの御家人が当たる。ノンキャリアである。したがって佐藤の捕物シリーズは現代でいう警視庁の刑事ものということになる。佐藤の時代小説は時代考証がしっかりしているからだろうか、読んでいると自分もその時代に生きているよう気がしてくるのである。

9月某日
休日出勤。国際厚生事業団に出向している伊東和也君が出勤していた。午後、花小金井のベネッセの経営する有料老人ホームに入居している荻島道子さんを訪問。道子さんは20年ほど前に亡くなった厚生官僚の荻島國男さんの奥さん。私は荻島國男さんとは老人保健制度のパンフレットづくりを手伝ったことから親しくさせてもらった。というか荻島さんをきっかけに同期の江利川さんや酒井さん、川邉さんたちと親しくなり、厚生省のネットワークが次々と広がっていったような気がする。私の大恩人なのだ。私が11月で社長を退任することを伝え、退任パーティでご子息の良太君にサックスを演奏してもらいたい旨お願いする。花小金井から池袋の芸術劇場へ。社会福祉法人にんじんの会の理事長で立教大学大学院の客員教授の石川はるえさんと現在進めている虐待防止パンフレットの打合せ。芸術劇場のレストランでビールとワインをご馳走になる。我孫子へ帰って駅前の「愛花」へ。しばらく店を閉めていたがママの実家に不幸があったようだ。

9月某日
「コーポレート・ガバナンス―経営者の交代と報酬はどうあるべきか」(久保克行 日本経済新聞出版社 2010年1月)を図書館で借りて読む。コーポレート・ガバナンスについて論じた本は多いが、経営者の交代や報酬にからめて論じられたものは少ないように思う。本書はそれをアメリカと日本を対比して分かりやすく論じている。日本に比べてアメリカの大企業の経営者の報酬は驚くほど高い。ストックオプションなど自社の株価に連動した報酬体系になっているからだ。だがそれがエンロンなどの不正を呼んだとの指摘もある。さらにアメリカの経営者は株価に反映される短期的な利益の追求に走りがちという批判もある。著者の考えを乱暴に要約すれば、日本の経営者の報酬は企業への業績の連動性がアメリカのそれに比べると圧倒的に低い。アメリカ並みにせよとは言わないがもう少し高めた方が企業にとっても経営者にとってもいいのではないか、というものだ。この考えは正しいと思うが、そもそも経営マインドとは金銭的インセンティブのみに左右されるものなのか、という疑問が残る。私としては金銭的インセンティブも大切だが、会社の業績が悪いときは「武士は食わねど高楊枝」というのも大事だと思いますね。